【考察】『Summer Pockets』について【七影蝶・迷い橘・時の編み人・影法師など】



『Summer Pockets』(サマーポケッツ、サマポケ)をレコード含めコンプリートしたので、私が今作をクリアしてから疑問に感じた箇所を考察しました。作中で部分的に語られた設定は情報を整理してから考察をしていますが、島モンファイト等の一括で設定が語られたものに関しては意図して考察の対象から外しています。
またはじめに言っておきますが、この記事ではシナリオの整合性を得るために強引な考察をしています。仕方がないとしても、この辺りが複数ライターの弊害ですよね。

今作の感想は下記の記事となります。この感想は考察前に執筆したものとなっており、今回の考察との内容に矛盾があります。その辺りはご了承ください。

【感想】『Summer Pockets』はどうすれば名作になりえたか
https://vitaaeternitatis.blogspot.com/2018/07/11.html


ここからは『Summer Pockets』の重大なネタバレが含まれています。未プレイでの閲覧は自己責任でお願いします。


この記事は2018年7月2日投稿時点の情報をもとに考察したものとなります。
それ以降に発表された情報に関しての加筆修正はしておりません。ご了承下さい。


七影蝶

未練や悔いを残した人の記憶の残滓が、残された人に想いを伝えるために、蝶の形で現世に留まった姿、それが七影蝶である。七影蝶は、子供や動物、感受性の強い人にしか見えない。

七影蝶に触れるということは、他者の記憶そのものを自らに取り込むことと同義である。また記憶を取り込んでも、触れた蝶そのものは消えることはないが、自らの肉体に触れた蝶は存在し続ける。つまりは一度でも蝶に触れた者は、他者の記憶と自らの記憶という複数の蝶を肉体に宿している状態となる。

この方法で他者の記憶を取り込み続けると、脳がキャパオーバーとなり、自身の蝶含めこれまで肉体に宿してきた蝶を全て肉体の外へと開放してしまい、肉体は昏睡状態となってしまう。
また七影蝶は記憶そのものであるが、記憶以外に人格も所有している蝶もいる。そのような七影蝶は人の形を得て現世で顕われる事がある。ただし人の姿を得てから未練を消化してしまったり、自分を構成する要素を失うと七影蝶へと戻ってしまう。



迷い橘

現世には記憶の還る場所と呼ばれる場所が各地に点在している。そこは現世と常世の境目であり、現世と少しずれた場所、少しずれた時間にある。鳥白島では迷い橘の御神木が存在している空門の神域が記憶の還る場所となっている。また鳥白島には迷い橘以外にも灯台からも記憶の還る場所へと繋がる道は存在している。

先述した七影蝶は記憶の還る場所へと集まってくる。 蝶は迷い橘を通って常世側へと行くが、肉体を保持したまま常世側へ行ける人間も居る。ただし常世から現世へと帰るには、心の底から帰りたいと望まなければ現世へ帰ることは叶わない。また常世と現世の時間はずれているので現世へ帰っても体感よりも長い時間が経過しており、現世では神隠しや行方不明として扱われている事が多い。



紬とツムギ

現世から常世へと辿り着いたことで、現世で神隠しとして扱われていたのがツムギ・ヴェンダースである。そんなツムギのぬいぐるみ(友達)がツムギが居なくなった後に人の形を得た姿が紬・ヴェンダースである。彼女の目的はツムギの代わりとなる事、ツムギの居場所を探すことである。

紬は何故元はぬいぐるみで人でないのに、人の形を得ることが出来たのかという疑問が残るが、この場合、人だけではなく、物に宿った記憶の残滓も七影蝶に成り得るものであると考えられる。
この辺りは付喪神などの「物にも魂は宿る」といった考え方に近いのだろう。



時の編み人

鳴瀬家の血筋に連なる者は、不思議な力がある。 耐えがたい寂しさから逃避する為に、未来よりも強く過去にすがった時、心だけを過去に戻れることができる。力を得る資格を持つ者は、声(あるいは蝶)に導かれて迷い橘へと訪れる。その声は、まるで母親が子供が幸せになれるように願うようであった。

心とは記憶の事であり、七影蝶となって迷い橘を経由して過去へと遡り、過去の自分に宿る事になる。これを鳴瀬しろは未来視として見ている訳である。つまり、この未来視とは当人にとっては既に起こってしまった過去の出来事なのだ。その為、多くは繰り返した歴史と同じ未来を辿ることになる。しかし、それでも諦めなければ未来を変えることは可能である。

ただし、この力には代償を必要とする。過去に遡ることを繰り返していくと、自らを構成する何かを失っていく。未来よりも過去に縋ることを繰り返しているうちに、時間の狭間を彷徨い続けることになる。この時間の狭間は、力を持った者の七影蝶が彷徨い続けている。それはまるで記憶の海のようであった。
この時の狭間で彷徨う蝶や、現世で力を持った存在を時の編み人と呼ぶ。



羽未とうみと七海

主人公・鷹原羽依里のはとことして登場した加藤うみ。彼女は時の編み人としての能力によって過去にやってきた鳴瀬しろはと鷹原羽依里の娘・鷹原羽未である。

これから先の未来。鳴瀬しろはは、鷹原羽依里と結ばれた後に妊娠する。しかし彼女は力によって未来から心だけがやってきて、この先に起きる未来を知ってしまう。自らが出産時に亡くなる事、未来で鷹原羽未が母親を求めてあの夏へと遡っていた事を──。
鳴瀬しろはは身重の身でありながら、娘・鷹原羽未が力を得ないためにはどうすべきかを探し続けていた。そうした無理がたたって彼女は出産時に亡くなってしまう。

こうして妻を亡くした鷹原羽依里は一人で娘を育てていくことになる。鷹原羽依里が娘・鷹原羽未をなぜ児童虐待《ネグレクト》していたのかは、鳴瀬小鳩が孫・鳴瀬しろはを食堂へと近づけさせなかった理由と同一であると考えられる。
鷹原羽依里は鳴瀬小鳩(あるいは亡くなる以前に鳴瀬しろは)から力について伝えられており、その力が発現することがないように鳴瀬しろはの思い出から遠ざけたのだ。それが正しいか否かは置いておくとして、どちらもただ不器用なだけで、その行動は娘(孫)に対して幸せになってほしいからとっていた行動であった。

対して父親と二人で暮らしていた鷹原羽未は父親に対して私が生まれなければ母親は生きていた事から、父親に踏み込むことを恐れ逃げていた。そして彼女自身が母親を知らないことから母親がどのような人なのか知りたかった。そんな彼女は母親の十三回忌の法事に父親に黙ってついてきてしまう。
鳥白島へと辿り着いた彼女は、鷹原羽依里の願いもむなしく、この記憶の還る場所で未来よりも過去にすがってしまい、力を得て、自身が存在しない過去へとやってきてしまう。また彼女はまだ自らが生まれていない過去へとやってきた為、七影蝶が人の形を得て姿を現している。

しかし彼女はこの夏でも父親に対して逃げ続けて、母親からは踏み込む勇気がなかった。それでも勇気を出して自分から手を伸ばしてみても、望んだことから遠ざかってしまう。そして彼女はまた同じ夏を繰り返す。何回も、何十回も──。プレイヤーにとって一周目よりもはるか以前から、彼女は同じ夏を繰り返していたのだ。
彼女の願いはたったひとつ。楽しい夏をおかーさんと過ごす事。その願いを求め続ける事に、彼女は代償を支払い、鷹原羽未は幼児化してうみになっていく。

そして最後の夏で彼女は辿り着いたのだ。
彼女は永い旅の中で色んな「夏休み」を知った。だが力の代償によって自らの存在を失っていく。声もかけることが出来ない、人の形を得ることも出来ない。ただ見ているだけの存在となる。干渉する事ができず、鳴瀬しろはの死からの逃避によって、この夏休みというゆりかごに囚われ、同じ夏を何度も繰り返し、そして失い続けていく。

鳴瀬しろはの死から回避するには、死の因果の大本である鳴瀬しろはが力を得た時間まで遡ることになる。そして、鳴瀬しろはが力を得ないということは、あの楽しかった夏休みと、鷹原羽未が生まれる歴史が消えることになる。それでも彼女は名前も、記憶も、大切な人さえも忘れてしまっても旅を続け、蝶は時の狭間へと辿り着く。
そこは時の編み人たちの記憶の海であり時の狭間。鷹原羽未の欠けた記憶は、時の編み人による色んな記憶によって編み上げられていく。彼女たちの願いもたったひとつ──あの子を救いたい。そんな母親が娘に、祖母が孫に祈るかのように鷹原羽未の記憶は補われていく。

こうして鷹原羽未は"僕"となった。時の狭間から迷い橘へと辿り着いた"僕"は影法師と出会い、"僕"は誰かと一緒に遊ぶ。迷い橘も夜となり、"僕"はひとりぼっちとなり、再び羽ばたき続ける。そして"僕"は七つの海──世界を超える。そして、ついに旅の終わりへ辿り着く。そこは鳴瀬しろはが母親と父親を失ってから一月しか経っていない時代であった。"僕"はこの時代にて七つの海を超えてやってきた事から七海と名付けられることになる。

ここからは鷹原羽依里の娘としては羽未、徐々に代償を支払って幼子となった羽未をうみ、"僕"となった羽未を七海と呼称する。



久島鴎と空門藍

七海の名前の由来である「七つの海」という単語は鴎ルートでも用いられていましたが、単純に考えれば七つの海とは、この世界全体としての海、あるいは世界そのものを意味している。それを超えるとなると、世界から世界へと──常世から現世へと超えることを意味すると思われる。

Pocketルートで空門藍が目覚め、久島鴎が生きていたが、他ルートとPocketルートの違いは羽未が生まれるか生まれないかの違いでしかない。それらの因果関係を考えれば久島鴎と空門藍は繰り返した夏休みのあと、羽未を救うために七海を編み上げた多くの蝶の内の一羽であると考えれられる。しかし、この場合彼女達も時の編み人の能力を有している事になる。

ただし久島鴎に関して初対面である筈なのに羽依里の名を知っていた事からも、そのような能力を有しているように思えるが、彼女が鷹原羽依里の名前を知る手段は他にもある。鷹島羽依里が久島鴎に送ったファンレターで久島鴎が鷹原羽依里を知ることは出来るが、当時の彼女はその記憶がないので把握することは出来ない。なので彼女が発言していたとおりにプールで名前を聞いていたと考えられる。この場合、本当に不審者であるのだが……。
空門藍も島モンファイトエンディングや、蝶でありながら人の形を得て空門蒼を迷い橘まで誘導していたことからも、久島鴎のように他にはない特殊性があると考えられる。

そもそも七海は時の狭間で編み上げられた後に、迷い橘へと辿り着いているので、そこで"僕"が遊んだ相手は、「羽のゆりかご」に灯台という単語がある事から、紬≒ツムギであると思われる。しかし相手は紬だけではなく、久島鴎と空門藍も含まれていたのかもしれない。その後に彼女達は七海の羽となっていれば、別に彼女達も時の編み人でなくても問題はなくなる。

ここからはシナリオ上の問題というか、プレイヤーの好みの問題となるのですが、上記の推察が合っているか関係なく羽未が生まれなければ、彼女達は昏睡状態から目覚めていたと考えられる。羽未が生まれなければ久島鴎と空門藍は救われていた事になると、Pocketルートでこのような奇跡を描いてしまったのは私的にはシナリオ上蛇足でしかなかったのではないかと考えざるを得ない。



影法師

迷い橘で七海の隣にいた影法師。影法師の正体はPocketルートで明かされたとおり、鳴瀬しろはの母親であり、羽未の祖母である鳴瀬瞳である。彼女もまた、時の編み人の力を持った存在である。

鳴瀬瞳の夫は交通事故で亡くなっており、その後、岬鏡子(当時は加藤鏡子)から白羽の伝承を知り、彼女は過去へ遡るために海へ投身自殺を図ったものであると思われる。娘を残して逝ってしまうのは親としてはどうなのかと思うが、彼女の「しろはに楽しい夏休みを過ごさせてあげて」という言葉を残していることからも、この先の未来であの楽しい夏休みを迎えることを知っていた可能性は高い。



岬鏡子

『AIR』における最後の子供たちのように、今作で意図的に語られていない存在が岬鏡子の存在であろう。ここからは彼女が何者なのかを明らかにしていこう。

まずはPocketルートにおける七海との会話中の「あなたは全部知ってるはずだよ」「私とこんな話をするのは、はじめてじゃないから」という発言。彼女は永遠に続く夏休みは、それは自由なように見えて、籠の中に閉じ込められていると語っているが、これは羽未の旅そのものを語っており、また以前に語ったのは白羽の伝承であって、この喩え話は初めてのはずだ。
この時点で結論を出すが、彼女も時の編み人であり、これから先に起きる未来を知っていたと考えられる。
そもそも羽未の事をはとことして自然に扱っていたが、この時間軸ではまだ生まれていないし知るはずのない羽未は赤の他人でしかないし、彼女が加藤家に居るのは違和感でしかない。この事からも岬鏡子は"全て"を知っていて羽未を加藤家に住まわせ、羽未視点の一周目にて夏休みは籠という喩え話をしていたとするならば、上記の10年前の二つの発言には納得できるものがある。

メタ的に言うならば岬鏡子とはプレイヤーの分身であり、プレイヤーと同じ視点から世界《ゆりかご》を観測・導いてきた存在であるとも受け取れる。
あの楽しかった夏休みは無くなり、鳴瀬しろはと鷹原羽依里は結ばれることはない。しかし鳴瀬しろはは過去に縋ることなく未来へと歩んでいる。そんな世界で「これでよかったんだよね」という彼女の吐露は、プレイヤーと共通した想いであっただろう。

ここまで語っておいてなんだが、時の編み人は鳴瀬家の血筋だけでないのかという疑問は残り続けている。岬鏡子が時の編み人であれば、その姉の息子である鷹原羽依里も時の編み人という事になる。
鷹原羽依里は一周目の時点で幾度もの既視感に見舞われており、ALKAルートでは蝶番の契りの際に七影蝶が横切ることを未来視をしている。うみとの語りの中でも、地の文にて「どこかで『見た』話だ」と心情を吐露しており、描写こそされていないものの、未来視にて複数の記憶を得ている可能性が高い。しかもPocketルートでは彼自身が時の狭間(記憶の海)へと辿り着き、うみと巡り合っている。
これらの事からも、鷹原羽依里は時の編み人であり、鳴瀬しろはとは6親等(はとこ)以上の続柄である可能性が高い。もしも鷹原羽依里が時の編み人であるとするならば、彼も鳴瀬しろはの死によって夏を繰り返し続けているゆりかごの中にいる複数の蝶の一羽なのだろう。

話は鷹原羽依里から岬鏡子に戻るが、彼女が時の編み人としての力を得ているとするならば、彼女も未来よりも過去に縋るような出来事があったのだろうか。これに関しては彼女の姓名から推察が出来る。
Pocketルートで登場した岬鏡子は十年前までは加藤鏡子という名前であった。つまりこの十年間の間で結婚して岬鏡子となった事が伺える。しかし彼女から結婚している事、世帯を持っている事や夫の情報は作中で一切語られていない。

この事からも岬鏡子は、鳴瀬瞳と同様に夫を喪った未亡人であり、その際に未来よりも過去にすがった事で力を得た可能性が高い。それによって十年前の時点で繰り返す夏休みも、羽未の事も含めて、全てを知っているのだ。
逆説的になるが、鷹原羽依里が既視感や未来視といった現象から力を得ているという事は、血縁関係者である岬鏡子も力を得る資格を有していることになる。



ALKA TALE

ALKA TALEとはグランドエンディングへと続くルートであり、また今作の主題歌「アルカテイル」を英語表記したものである。

この"ALKA"は造語であるが、作品をプレイした人になら意味が分かるようになっていると言っていることから、そのまま「ある夏(か)」であると思われる。しかし、それでだけの意味なら別に造語である必要はない。調べたところ中国語で「児化」と書いてアルカと発音する単語があった。
「アルカテイル」の歌詞は、一周目からALKAルート中盤までの羽未の心境を描いたものであり、彼女が代償を支払い幼児化していく様子が描かれている。この事からも「児化」というのは適した単語である。
ALKA TALEの意味は「ある夏(繰り返す夏休み)の物語」と「幼子となっていく少女の物語」のダブルミーニングであると考えられる。

追記:「児化」は幼児化を意味する単語ではないそうです。


一番の歌詞は「今も何度でもボクは夏の面影の中 繰り返すよ」とあり、ただ変わることのない景色を繰り返す心象が表れているのに対して、二番の歌詞は「今も何度でもボクは夏の面影の中 振り返るよ」となっている。しかし「夜奏花」では 「もう振り返らないよ この手に温もりあるから」とあり、彼女はこれまで得られなかった楽しかった夏の思い出をこの時点で得ていることが伺える。
これらは一見すると矛盾しているように見えるが「アルカテイル」の歌詞には「あの日途切れてしまった言葉を繋ぎ止めたいだけ」とあり、この言葉はPocketルートで繋がれている。
つまり時系列順に並び替えるならアルカテイル(一番)→夜奏花→アルカテイル(二番)→羽のゆりかごとなる。

これらの事から「アルカテイル」の歌詞は「母親との楽しい夏の思い出を得るために繰り返して、その思い出を得たからもう振り返らない。だけど、母親を救うために、あの夏よりも遥か過去へと振り返るよ」という歌詞である事が読み取れる。

ちなみにだがグランドエンディングテーマ「ポケットをふくらませて」は、鷹原羽依里が子供から大人へとなった後の哀しみの心境であり"きみ"とは亡き鳴瀬しろはであり、新しい生活とは羽未との暮らしであることが推察できる。


これにて私がプレイしていて疑問に思った箇所の『Summer Pockets』の考察は以上となります。
長文となりましたが、ここまでの閲覧ありがとうございました。



5 件のコメント :

  1. 児化は中国語で幼児化という意味じゃないですよ、中国語での発音もalkaではないです
    アル化でググればわかります

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    1. 指摘ありがとうございます。後日訂正します。

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  2. 最近クリアした者です。鏡子さんの考察についてすごいなと思いました。
    情報が少ない中、これだけ考えることができる方も、作品も良いものですね。

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    1. コメントありがとうございます。
      情報が少ないなかで魅了される作品ほど考察しがいがあるというものです。

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  3. ショートストーリーをお読みください。

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