昨年に発売された『水葬銀貨のイストリア』と同ブランドであるウグイスカグラの処女作。そもそも『紙の上の魔法使い』をプレイしようと思ったのは昨年の『水葬銀貨のイストリア』の評価が高く、それをプレイする前に処女作兼前作の『紙の上魔法使い』をプレイするべきだと感じたからだ。いわゆる前座のつもりで購入した今作だが、その内容は私の心に深い傷を刻みつけるほどの、重たく、深い愛の物語だった。
この物語は、宝石の名を冠した魔法の本を舞台とした現実の物語。現実で物語を展開し、現実に生きる者達を登場人物へと当てはめる。魔法の本によって物語は展開されていくが、決して定められた出来事が起きるわけではなく、演じる人間によって様々な物語を描いていく。
これは、彼らの青春活字物語。
瑞々しいほどの青春と、切ない感情に揺さぶられた、小さな図書館の物語。
さぁ──キミと本との恋をしよう。
シナリオ :42/50点
キャラクター :8/10点
グラフィック :8/10点
音楽 :7/10点
声優 :7/10点
システム :6/10点
合計 :78点(評価C)
この作品にはオープニングもスタッフロールも存在しません。お金の問題なのでしょうが、別にボーカルを用意しなくてもBGMだけ流してスタッフロールを流すだけでも余韻は生まれたのではないかと思うのです。
また今作は修正パッチ適用後もスクリプトミスや誤字の多さが目立ち、物語の没入感を低下させています。それでも、この作品には引き込まれるほどの魅力が存在しています。もう少しだけ演出が良ければ、評価は高かったかもしれません。
基本的には魔法の本という幻想的な存在を軸に、ミステリー的展開が続いていきます。
プレイヤー(読者)は誰が、何の目的を持って、どんな願いで魔法の本を開き、物語の展開と、結末を推理していく。
物語に隠された伏線と、その回収の仕方は秀逸であり、物語を進めながら推理(考察)する事が好きな方はお薦めな作品です。体験版は三章まで配信されているので、興味があれば体験版だけでも触れてみるのも良いかもしれません。
ここからは『紙の上の魔法使い』の重大なネタバレが含まれています。未プレイでの閲覧は自己責任でお願いします。
感想
この物語の始まりは遊行寺夜子の心の弱さから始まりました。四条瑠璃へ恋をして、それでも告白して失恋される恐怖が嫌で、嫌で、嫌だから。彼女は願ってしまった。その願いは歪んだ関係を生み出し、その結果にも嫉妬して、そしてオニキスの名を冠する本が月社妃の眼の前に現れた。
その本を手に取ったのは月社妃の意思だ。月社妃の死は紛れもなく自業自得だ。たったひとつの好奇心という衝動が彼女を殺し、その結果、四条瑠璃の心は耐えきれず自殺を選んでしまう。
遊行寺夜子、遊行寺闇子、月社妃、四条瑠璃。心の弱さは連鎖的に不幸を生み出した。
この物語は多くの人から見ればハッピーエンドではありませんでした。四条瑠璃と、月社妃と、遊行寺闇子は現実では死んでしまっているのだから。
それでも、欠けたものを継ぎ足していける。そうして語ることが出来る場所が、この幻想図書館なのだ。
『四条瑠璃』と呼ばれる本と結ばれた少年は、自らが本であることを受け入れ、また数年間彼を愛していた日向かなたも、本物も偽物も愛した。そして、遊行寺夜子は失恋した。
実から逃避するために幻想を願うのではなく、現実へ歩むための幻想を──。
ただそこにあるだけの日常だけでも、人は幸せになることが出来る。
だが、忘れないでほしいのは、それが出来るのは幻想図書館だからなのだ。
決して現実は甘くない。現実と幻想は本来交わることはないのだ。
どれだけの時が経とうと、四条瑠璃は確かに死んでしまって、誰もが忘れていても、月社妃は確かに死んでしまったのだ。そこに居る四条瑠璃はオリジナルの四条瑠璃ではなく、遊行寺夜子の手によって描かれた紙の上の存在でしかないのだ。
遊行寺夜子と伏見理央と日向かなたと遊行寺汀とクリソベリルと四条瑠璃。
欠けた者達と継ぎ足された日常。そこに彼らは些細で、そこにある真の幸せを噛み締めて生きていくのだろう。
それでも、それでも──。
クリソベリルのやった事は許されるべきではない。
同情される過去があれど、彼女が居なければ、確かに月社妃は死ぬことはなかったのだから。予約特典にて語られるフローライトの瞳をした彼女の言葉は、まさしく私(あるいは多くのプレイヤー)の想いそのものだ。同情される過去があろうともそれでも死んだものは返ってこないし、また許されるべきではない。
この『紙の上の魔法使い』におけるテーマとはなんだろう。「物語」はどうあっても幻想でしかなく、現実ではないのだと伝えたかったのだろうか。妃と瑠璃のように、思考実験のスワンプマンのごとく「自我同一性」をテーマにしたかったのだろうか。
プレイしている中で色々な想いが駆け巡ったが、やはりこの物語が語りたかったテーマは「恋愛」なのだろう。こまかく語るならば「失恋」だ。遊行寺夜子の失恋こそがこの物語の主軸であり、そして遊行寺夜子こそが物語の主人公なのだ。
恋愛とは素敵なもので、魅力的なものなのだろう。それでも愛とは残酷で、恐ろしいものなのだ。愛が成熟しても、しなくても、その先を乗り越えて真の幸せがあるのだと。
ただこれだけ。
遊行寺夜子が失恋を乗り越えてこの物語が伝えたかったのはこれだけ。
そこに至るまでに取り返しのつかない犠牲が溢れたが、確かに彼女は失恋を経験したのだ。心を閉ざすことなく失恋を経験して、現実を歩むことにしたのだ。
十二章から分岐するエンディングは”KANATA END”ではなく“おしまい”であり、十三章は”TRUE END”と表記されている。いってしまえは"おしまい”とは他のENDとは違い魔法の本が見せるifではなく、それは確かに存在する結末なのだ。
クリソベリルは確かに同情できるし許されるべきであり、クリソベリルと共に欠けたものを継ぎ足していって、ハッピーエンドを目指していく。そう思うならばプレイヤーはTRUEを支持すればいい。もしも許されるべきではないと思うならば"おしまい”で物語を〆ればいいのだ。
私たち読者には二つの選択肢が用意されている。どちらの選択肢であろうとも遊行寺夜子は失恋を乗り越えていて、どちらも空想へと逃避せず現実へと歩みを進めているのだ。ならばその選択肢の先はエピローグでしかなく、彼女の失恋という物語は既に終わっているのだ。
どちらを選んでも、遊行寺夜子は、そこにある日常の幸せを歩み続ける。
確かに彼女は失恋した。バッドエンドではないにしてもビターエンドとも言えるだろう。それでも彼女の現実へと歩む姿は、幸せであると言えるのではなかろうか。
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